第68号
最近続いて起こっている子供たちの痛ましい出来事は、わたしたちの心を暗くし、不安にさせます。今月の十日の川越市民クリスマスで、説教者の山岡磐牧師(日本基督教団初雁教会)は、大人が子供に話しかけることの出来ない社会が来るとは考えられなかった、とおっしゃっていました。わたしが小さい頃は、学校の帰りに寄り道をし、家に帰るのが遅くなることが度々でした。人を信用できない社会、それは神を信じることの出来ない社会でもあります。聖書には、終わりの日にはお互いの愛が冷えるとありますが、今日の社会を見ると、その時が近いのを知らされます(2テモテ三:一~三)。
主イエスのお生まれになった時もまた暗い時代でした。イスラエルはローマの植民地でした。「ローマの平和」(Pax Romana)は武力で押さえつけられた平和でもありました。ユダヤを治めていたヘロデ大王もイドマヤ人で、しかも王の座を守るためなら何でもした人でした。そのような時代に主イエスはお生まれになったのです。ヨセフはこのように語る天使の言葉をさえぎって、聖霊によって身ごもるなんてそんな非科学的なことは信じられない、そのような女と結婚したくはない、と断っても世間的には充分正しい人であり得たのです。マリアと離縁し、他の人と結婚し、別の家庭を作ることも出来たのです。しかし、ヨセフは自分の考えを固辞せず、天使の言われたことを信じ、マリアを妻としたのです。