第71号
「パン種」はパンの中で急速に全体に広がり、膨らませ、食べ易くします。イスラエルにあって「ファリサイ派とサドカイ派の人々の教え」もそうでした。主イエスは彼らの「教え」、すなわち「パン種」に注意しなさい、と言われました。
律法は二種類あります。一つは書かれた律法である聖書、その中でも特に「十戒」と律法書であるモーセの五書です。もう一つはファリサイ派の人々やサドカイ派の「言い伝え」です。「十戒」も「言い伝え」もいずれも大切なものとして厳格に守らなければなりませんでした。しかし、実際にはファリサイ派やサドカイ派の人々は「十戒」以上に彼らの「言い伝え」を大切にしました。例えば、十戒の第五戒には「父と母を敬え」とあります。「それなのに、あなたたちは言っている」と主イエスは言われました。「『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている」(マルコ七:一一~一三)。神殿への捧げものは任意です。しかし、十戒に背くものは「呪われよ」、と言われ、また「死ななければならない」のです。どちらが大切かは明らかです。ファリサイ派やサドカイ派の人々の「言い伝え」は自分を他の人に対して宗教的に見せかけ、尚且つ、父と母への扶養の義務を怠り、自分の財産を不当に所持し続けることが出来たのです。十戒の第四番目にある安息日の戒めについても同じでした。主イエスの弟子たちが麦の穂を摘んで食べたとき、主イエスが病気を癒したとき、また癒された病人が床を持って歩いたときなど、自分たちの「言い伝え」を根拠に彼らは主イエスの言動を批判しました。それに対し、主イエスは安息日の主は誰なのですか、善いことをするのと悪いことをするのとどちらがよいのですかと彼らに反論しました。
この教えは、個人だけでなくその集合体である国家にも当てはまります。日本は戦争により多くの人命を失い、また広島と長崎には原爆が投下されました。日本の憲法第九条は平和国家として立つことを目的とし、他国との交戦権を否定しています。しかし、時代の流れと共に国家固有の権利としての自衛権を認めるようになりました。神から与えられた日本の使命は、非武装により世界平和に貢献することです。
個人においても国家においても「人を殺してはならない」は人間的解釈を入れる余地のない神の戒めです。