第116号
〈クリスマス礼拝〉
子供にとってクリスマスといえばサンタクロースです。欲しい物をお願いしておくと、クリスマスの日、その願いがかなっています。不思議に思うと同時に確かにサンタクロースはいると信じます。似通ったことが多くのクリスチャンにも言えるのではないでしょうか。祈りが聞かれると神を信じ、そうでないと神がおられるとは思えなくなるのです。しかし、聖書が教える神はそのような神とは違います。大工のヨセフは許嫁のマリアに子ができたのを知りました。自分の子ではありませんでした。当時、姦淫の罪は死刑でした。。ヨセフはそのようなことは望みませんでしたので、マリアの子を自分の子と認めたうえで「縁を切ろうと決心した」のです。「このように考えていた」ヨセフに「主の天使が夢に現れて」マリアを妻とするように「命じられた」のです。ヨセフは神の御意志を知ってマリアを妻とし、その子を自分の子としたのです。
神はモーセを遣わし、その民を荒野に導き出され、自由の民とされました。神は昼は雲の柱、夜は光の柱となって彼らを導き、マナで養われました。また十戒と幕屋を与えられました。この民を率いてアブラハムに約束されたカナンの地に入ったのはモーセの後を継いだヨシアでした。
イスラエルの民は預言者サムエルの時代に王制となり、エルサレムには幕屋に代わって神殿が建てられました。しかし、イスラエルの繁栄は長くは続かず、南北の王朝はアッシリアとバビロニアによって滅ぼされました。異教の地で捕囚となった民は聖書を編纂し、それによって律法を学び、律法に従って生きようとしました。このためにユダヤ人が集まるところにはシナゴグと呼ばれる会堂が建てられました。
ペルシャ王クロスの時に帰還が許されましたが、多くのユダヤ人は捕囚の地にとどまりました。帰還した民はエルサレムに神殿を再建しました。
主イエスの時代、イスラエルでは律法を厳格に守って暮らすファリサイ派の人たちや律法学者たちが民の指導者となっていました。サンヘドリンと呼ばれるユダヤ人議会の議員の多くを占め、また律法の教師として民衆の支持を集めていたのです。しかし、彼らは主イエスが「自分を神としている」ことを問題にしました。彼らにとって主イエスの言動は赦しがたい神への冒涜だったのです。そのため遂に民衆を扇動し、十字架につけて殺しました。
インマヌエル、それは、神が御自身の民への主権の回復の宣言であり、再び御自身の民を支配するその到来でした。主イエスにより教会が新しいエルサレムになったのです。