2010年12月19日日曜日

ヨハネ1章19-28節「あの預言者」

第128号

申命記18章15節~22節

 預言者モーセはイスラエルの民に「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わなければならない」と言いました。それ以降、イスラエルの民にとって「あの預言者」と言えばモーセのこの約束を指すようになりました。
 神はモーセをエジプトに遣わし、そこで奴隷となっていたイスラエルの民を救われました。エジプトの王ファラオはモーセの声に従いませんでしたが、神はモーセを通して様々なしるしを行った末、エジプト中の初子を撃ち、それによってイスラエルの民は、遂にエジプトから出て行くことができたのです。
 自由の民となったイスラエルは一ヶ月後にシナイ山に着き、そこで神から十戒を授かりました。律法は神の民にふさわしい倫理基準です。そして、それを守ることによりアブラハムに約束されたカナンの地で繁栄し、全国民の模範の民となることができたのです。しかし、律法を守らないなら彼らは滅びなければなりませんでした。
 しかし、その後のイスラエルの歴史は、指導者も民も律法を守ることができませんでした。結局、北王国(イスラエル)はアッシリアに、南王国(ユダ)も五八七年にバビロニアに滅ぼされました。それ以来、イスラエルは自分の国を持つことはできませんでした。
 このように、モーセから律法の時代が始まりました。イスラエルの民に与えられた律法はその前の時代と後とを明確に分けたからです。モーセは神と民の仲介者となり、それまでは自分の良心に従って歩むほかなかった民に、何が神の前に良いのか悪いのかを明らかにし、それによって神の救いと裁きとを指し示しました。

 モーセからおおよそ六百年の歳月が経ち、洗礼者ヨハネがイスラエルの前に現れました。荒野から出て来たヨハネはラクダの毛衣を着、イナゴと野蜜を食物としていました。ヨハネはイスラエルの民にアブラハムの子であることは救いとは何の関係もないとしました。そして、罪からの悔い改めの洗礼を授け始めると、祭司やレビ人たちは「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねました。それに対し、ヨハネは「そうではない」と明確に答え、「あの預言者」は、わたしの後に来られると言いました。
 ヨハネは「わたしは、その履物をお脱がせする値打もない。そのお方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と言われました。そして、罪の赦しの洗礼を人々に授けたのです。貧しい人、罪人、虐げられている人がヨハネのところにやって来て洗礼を受けました。
 主イエスもまたヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、伝道の生涯に入られました。公生涯に入られた主イエスも質素で、上着と下着だけが所持品の全てでした。夜、寝る家もなかったのです。
 主イエスは、律法に捉われず、厳格な食事や安息日の規定から自由に生きられました。神は霊だから礼拝する場所は神殿だけでなく、どこでもいいこと、そして、人は律法を守ることによっては救われないと教えられました。

 民の指導者たちは主イエスを十字架に付けました。彼らは主イエスの教えを否みました。彼らは指導者として地位と名誉を守ろうとし、アブラハムの子孫として救いはあくまでユダヤ人だけのものとしたかったのです。しかし、バビロニアに滅ぼされたイスラエルの歴史と主イエスの十字架の出来事は、わたしたちに律法を守ることによっては決して救われることはないことを教えます。
 十字架に付けられた主イエスは三日目に甦られました。それによって御自身がまことの神であることをお示しになられました。御自身は罪を犯されず、わたしたちの罪の身代わりとなってその血を流され、わたしたちの贖罪の小羊となられたのです。復活の事実と主イエスが約束された聖霊が人々に与えられることによって福音は世界に広がり、恵みの時代が始まったのです。行いによってではなく、主イエスを神の子と信じる者が救われるのです。
 モーセによって律法が支配する時代がイスラエルで始まったように、主イエスを信じる信仰によって救われる新しい時代が世界に始まりました。モーセは神の人でした。しかし、主イエスは神の子です。モーセが「わたしのような預言者」とはそのような意味でした。わたしたちにこのような主イエスが与えられているにも拘らず、自分の良い行いによって救われようとするなら、モーセの律法の時代に生きているのと変わらなくなってしまいます。
 主イエスはベツレヘムの家畜小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされました。わたしたちの心に主イエスの宿るところがないなら、もっと低い心の人に宿られるのではないでしょうか。

2010年10月17日日曜日

創世記26章23-25節「わが僕アブラハムのゆえに」

第126号

 
 「イサクは更に、そこからベエル・シェバに上」りました。母のサラは亡くなって既に久しく、父アブラハムもまた地上の人ではありませんでした。神はアブラハムを祝福されましたが、イサクも祝福され、彼は「豊かになり、ますます富み栄えて、多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つように」なっていました。
 ベエル・シェバ、それはイサクにとって忘れられない所でした。神はそこに滞在していたアブラハムに、モリアの地に行って独り子イサクを焼き尽くす献げ物としてささげるように求められた所だったからです。モリアの地とは後のエルサレムでソロモン王が神殿を建て、主イエスが十字架に付けられた所でした。

 アブラハムにとってイサクは特別な存在でした。神から約束された子で、百歳になってから与えられた子でした。その名は「笑い」で、子のなかったサラとの間に笑いの源となったのです。二人はイサクの乳離れの日に盛大な宴会を開きました。また、二人はイシマエルを家から出しました。サラにとってエジプトの女ハガルの子は、自分の子とアブラハムの財産を分け合う相手ではありませんでした。これほどまでにイサクを愛していたにもかかわらず、父アブラハムは神の言葉を聞くと、躊躇せずイサクを連れて出立したのです。
 不思議なことにアブラハムは理不尽な要求をした神に反抗したり、苦しんだり、取り乱したりしたようには思えないのです。アブラハムはイサクを与えてくださったのは神であることを知っていました。目に入れても痛くないほど愛していてもイサクは神のものでした。神は自分を愛しているが故にイサクを与えてくれたのであって、その愛をないがしろにはできませんでした。しかし、それ以上にアブラハムは「神が人を死者の中から生き返らせることもお出来になる」ことを信じていたのです(ヘブライ一一:一九)。
 イサクは父が小羊を連れていないのが不思議でした。父はこれまでにも祭壇を築き、小羊をささげていたからです。イサクが「小羊はどこにいるのですか」と尋ねるとアブラハムは「神が備えてくださる」と答えました。人を死から贖うことのできるお方を信じていたのです。
 モリアの地に着くとアブラハムはためらうことなくイサクを屠ろうとしました。それまで優しかった父親が刃物で自分を殺そうとしたのです。その時のイサクの気持ちはどうだったでしょうか。逃げる、暴れる、泣くといったことはしなかったように思われます。小羊のようにされるままだったのでしょう。イサクがべエル・シエバに上るということは、その時のことを思い起こすことでした。
 その夜、主がイサクに現れました。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である」。イサクはあの時、自分を屠ろうとしたのは父ではなく、神であったことをよく知っていました。神は身代わりの雄羊を用意されていたのです。そして神は「恐れてはならない」と言われました。神は人の生き死にを決めることのできる権威あるお方でした。そのお方が「わたしはあなたと共にいる」と言われたのです。イサクはその言葉にどれ程勇気づけられたか知れません。主はイサクに父アブラハムと同じ約束を与え「わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす」と言われました。父の信仰が子に継承されたのです。

 わたしたちは神が存在することを信じることはできても、神が御自身を顕現されない限りどのようなお方であるかを知ることはできません。神はこれらの約束をイサクに与え「わが僕アブラハムのゆえに」と言われました。約束、そして愛も同じですが、それらは関係性によって初めて成り立ちます。神はアブラハムを愛し、イサクを与えました。その神にアブラハムはイサクをささげました。神はそのアブラハムに応えて御自身の独り子をわたしたちに与えられたのです。そのお方こそ主イエスでした。
 父アブラハムが祭壇を築いたように、イサクもまた祭壇を築きました。イサクは父アブラハムの神を信じ「その御名を呼んで礼拝した」のです。それによってイサクもまた「更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していた」のを知るのです。
 祭壇を築くこととわたしたちの礼拝とは同じです。イサクはそこに天幕を張り、留まりました。わたしたちも教会にしばし留まり御名を呼ぶのです。イサクの僕たちは井戸を掘りましたが、わたしたちもまたそこから命の水を飲むのです。
 アブラハムもイサクもわたしたちと同じように主イエスを見ていたのです(ヨハネ八:五六)。それはこれから来るお方として見るか、既に来られたお方として見るかの違いです。神は「わが僕アブラハムのゆえに」わたしたちを愛して十字架という祭壇に独り子をささげました。そのことを知って、わたしたちもまたこの神の愛に応えるのです。

2010年9月19日日曜日

創世記21章1-8節「彼女は身ごもり」

第125号

 アブラハムは今からおおよそ四千年前の人で、出身はカルデヤのウルです。ハランに移り住みましたが、そこで神の言葉が臨みました。神はアブラハムに「子孫」と「土地」を与えること、そして諸国民の「祝福の源」になることを告げられました。アブラハムはその言葉を聞くと妻のサラ、甥のロトと共に行き先が分からないままに旅立ちました。
 アブラハムはカナンの地に着くと、そこが約束の地であると告げられました。主なる神はアブラハムに夜、テントの外に誘い、あなたの子孫は星のように多くなると言われました。アブラハムはその言葉を信じ、神はそれを義とされました。
 その地に飢饉が襲った時、アブラハムはエジプトに行きました。しかし、美しい妻の故に殺されるのを恐れ、妹だと言いました。そのためファラオはサラを自分の妻として宮廷に召し入れ、アブラハムにはたくさんの羊や牛の群れ、ロバ、ラクダ、男女の奴隷を与えました。
 アブラハムがしたことはサラへの裏切りであったばかりではなく、神の言葉に対する不信仰でした。自分の命を守ることを何よりも優先させたからです。しかしながらこの危機は神によって解決されました。ファラオと宮廷の人々が恐ろしい病気になり、神はファラオに現れ、サラをアブラハムの元に戻すように命じました。
 このような経験をしたにもかかわらず、アブラハムはゲラルに滞在中、同じ過ちを犯しました。その地の王、アビメレクはアブラハムがサラを妹と言うので自分の妻として宮廷に召し入れました。神はアビメレクがサラに近づくことのないようにされ、また、宮廷の全ての女は子を生むことができないようにされました。そして彼女をアブラハムの元に戻すように命じたのです。
 サラもまたアブラハムに「子孫」を与えると言われた主の約束を自分なりに解釈しました。既に七五歳を過ぎたサラは、エジプト人の女奴隷ハガルをアブラハムに与え、彼女によって子を得ようとしたのです。ハガルはアブラハムの子を身ごもると女主人を軽んじるようになりました。家庭内の秩序は乱れ、生まれて来た子、イシマエルもサラの喜びとはなりませんでした。アブラハムはイシマエルが約束の子と信じました(創世記一七:一八)。
 イシマエルが一三歳になったとき、主が再び現れ、来年の今頃サラに子が生まれると告げました。アブラハムは「百歳と九〇歳の妻に子が生まれるだろうか」と「ひそかに笑」い、サラも自分は年を取り、主人も年老いているのでそのような楽しみはないと「ひそかに笑」いました。しかし、神は彼らに男の子を与え、その子はイサク(笑い)と付けられました。
 神の言葉は必ず成就するというのがこの物語の主題です。人間の判断や、努力は必要ないのです。主が働かれるのを待つ、それがわたしたちの信仰なのです。

 アブラハムの信仰は神の声を聞いたことによって始まりました。しかしその歩みは、高みに登ったり、降りたりの起伏の激しいものでした。そのような自分中心の信仰が神中心に変えられたのは約束の子、イサクが与えられたことによってでした。わたしたちの信仰も初めは自分中心ですが、神によって変えられます。創世記ではアブラハム物語に多くの頁を割いていますが、神の言葉に全てを委ねることの大切さを教えるためなのでしょう。

 アブラハムへの約束はイサクの誕生で完結しませんでした。本当の「子孫」はそれから二千年経って、主イエスが生まれることによって成就したからです。このお方こそアブラハム、イサク、ダビデに約束された「子孫」です。
 「彼女は身ごもり、男の子を生んだ」それはマリアにも言われた言葉でした。マリアは結婚する前の十代の乙女で、子を生むことはないはずです。それにも拘らず神はその言葉を成就されたのです。二人には前もって「神に出来ないことは何一つない」と言われていました。アブラハムとサラはイサクを、ヨセフとマリアは主イエスを与えられて初めて不可能を可能とされる神の力を知ったのです。

 イサクや主イエスだけでなく主イエスを信じるわたしたちもまた「約束の子」なのです。わたしたちは天地創造の前に神によって知られ、選ばれていました。イエス・キリストによって「神の子」にしようと前もって定められていたのです(エフェソ一:四、五)。だからこそ、わたしたちもまた彼らと一緒に「約束の子」の誕生を喜ぶことができるのです。それは神が働かれたことを知ることであって、その事実がわたしたちの心の奥深い喜びとなるのです。
 サラとマリアに起こった事はわたしたちの知恵や力を越えたことであって、神の絶対的主権、絶対的恵みを教えるものです。

2010年7月18日日曜日

ヨハネ二「豊かな報いを受ける」

第123号

 著者は主イエスの十二弟子の一人であった使徒ヨハネでなく、使徒ヨハネが作った教団の長老の一人で、皆に良く知られた人でした。そのため特に名前を記す必要はありませんでした。しかし今日その人が誰であるかを特定することはできません。宛先の「婦人」とは「教会」です。教会はキリストの花嫁で、「その子たち」とは教会員のことです。
 この手紙には「真理」という言葉が五回繰り返されています。「真理」とはキリストのことです。使徒ヨハネは「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと『真理』とに満ちていた」と証し、主イエス御自身も「わたしは道であり、『真理』であり、命である」と言っています(ヨハネ一四:六)。
 「愛」という言葉も六回出て来ます。この「愛」はわたしたちの知っている愛ではなく、主イエスによって初めて知る愛です。生まれつきのわたしたちには何かが欠けており主イエスが神の子であると認めることができません。無意識であっても神への反逆の気持ちがあり、その罪が主イエスを十字架につけたのです。主イエスは十字架の上で「乾く」と言われ「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました(ヨハネ一九:二八、マタイ二七:四六)。わたしたちが本来負わなければならない罪の裁きを御自身が負われたのです。そして「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と叫ばれ、わたしたちの罪を赦されるよう天の父に執り成したのです。神はこのようにして御自身の独り子の命に代えてわたしたちの罪を赦されました。ここに神の愛があります。神が愛してくださったようにわたしたちも愛し合わなければならない、それが罪赦されたわたしたちへの「教え」であり「掟」なのです。

 ヨハネはわたしたちに、この愛によって歩むことを求め「このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとはしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです」と言います。
 今日でも多くの教会で主イエスがこのような神の子であることを証していません。自分は正しいと信じ、主イエスを十字架に付けたのは自分だとは認めません。しかし、自分には罪がないと思っているのであれば、それは神を嘘つきとすることです。主イエスはわたしたちの罪を取り除くために御自身の命を犠牲とされたからです。また、ある人たちは主イエスを信じ、従うことにより自分自身が聖くなり救われると教えます。確かに長い信仰生活で自分が立派になったように感じる時もあるでしょう。しかし、年を取って失敗を重ねれば、自分の本質は若い時と何ら変わってはいないことに気づかされるのです。わたしたちは生まれた時と同じ裸であって、主イエスという上着を着ているのにすぎません。着せられた上着が素晴らしければ素晴らしいほど自分のみすぼらしいのに気がつかされるだけです(ローマ七:二四)。また、ある人たちは、主イエスは愛だからわたしたちを愛し、裁くことはないと教えます。人間には生まれつき神から愛される価値があると教えるのです。しかし、罪を悔い改めない限り神の裁きがあり、救われることはありません。

 エゼキエル書には「彼らは、わたしが主であることを知るであろう」と七〇回以上、繰り返して記されています。この言葉は嘆きの中で、審判の中で、回復の中で語られています。エルサレムはバビロニアによって紀元前五八七年に滅ぼされました。神殿は崩壊され、町は瓦礫となり、多くの民は殺され、またバビロンに捕囚となりました。民は国が滅んだ時、どのようにしてヤハウェが主であることを知るのでしょう。このことは、この言葉を自分に当てはめて考えてみる時、初めて理解できます。わたしたちは自分に死んだ時、初めて主イエスが主であることを知るからです。イスラエルはソロモン王の時、栄え、豊かになりました。しかしその時、王と民は神から離れました。わたしたちも同じで、自分の力で生きることができると思っている限り、主イエスが主となることはありません。
 主イエスは「水」と「血」を通って来られたお方です。同じようにわたしたちもまた「水」と「血」によって主イエスに結びつくのです。水とは洗礼で、自分に死に、主イエスに生きて頂くことを意味します。血とは聖餐で、自分の罪を主イエスが受け入れてくださり、主イエスの義を自分のものとすることです。水と血によって主イエスに結びつくとき、「永遠の命」に生きるようになります。それが「豊かな報いを受ける」ということです。そのようにして生きるなら、この地上の生涯にも「豊かな報い」があるのです。この世であろうと、来るべき世であろうと、主イエスが共にいてくださるということこそ「豊かな報い」なのです。

2010年6月20日日曜日

ヨハネの手紙一4章1-6節「神を知る人」

第122号

 神が人となってこの世に来られた、そのお方が主イエスです。そして、このことを信じることができるのはわたしたちに聖霊が与えられているからです。聖霊を受けることなしには主イエスを神の子と信じることはできません(Ⅱコリント一二:三)。洗礼者ヨハネは主イエスが御自分の方に来られるのを見て「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言いました(ヨハネ一:二九)。ヨハネは「この方を知らなかった」のです。「しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『霊が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである」と言っています(ヨハネ一:三三,三四)。わたしたちは自分の思いや意志で主イエスを神の子と信じることはできません。ですから「キリストに結ばれる人はだれでも新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」ので、「これらはすべて、神から出」たことなのです(Ⅱコリント五:一七)。
 主イエスを神の子と信じることができるなら、わたしたちは「神に属する者」です。わたしたちは主イエスによって創造された新しい世界を述べ伝えることができます。「神を知る人」たちは、わたしたちの言葉に耳を傾けます。「神に属していない者」は、わたしたちに耳を傾けません。彼らは古い世界に住んでいる人たちであって、わたしたちの言葉を理解することができないからです。偽善者たちは古い世界に属し、この世のことを話します。そのため彼らは偽善者の声に耳を傾けるのです。

 「古い世界」では神と人は対応する存在です。哲学者デカルトは「われ思う、ゆえに我あり」と言いましたが、この言葉は神とわたしたちとの関係をよく表しています。わたしたちは自分自身を神から独立したものと考え、創造者に自らの存在の意味を問いかけます。自分の人生は自分のものであって、神の前にどのように生きるのかは自分の責任だからです。わたしたちは自分が神の前にどのようなものであるかが問われます。主イエスこそ倣うべきお方です。誰も清くなければ神を見ることはできません。また、どれだけ神を愛し、人を愛したかが問われます。神はわたしたちが正しく生きるなら喜ばれ、そうでないなら悲しまれます。このお方により、裁きの時、この世でしてきたことに応じて裁かれます。救われるためには、神の求める基準に到達していなければなりません。そのため霊的向上が日々求められます。しかし、こうして自分を見つめた結果、わたしのような者は到底、救いにはあずかれない、ふさわしくないと自ら判断し、神から離れることすらあるのです。
 「新しい世界」では神と人とが対応する存在ではありません。神は創造者であり、わたしたちは被造物です。わたしたちの存在はあくまで神あってのもので、聖霊を受けることなくしてその意味を持ち得ないのです。神は「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる」のです(ロマ四:一七)。わたしたちは「神の中に生き、動き存在」しています(使徒一七:二八)。神はわたしたちの「髪の毛まで一本残らず数えられている」のです(マタイ一〇:三〇)。

「神はモーセに、『わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思うものを慈しむ』と言っておられます。従ってこれは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。…このように、神は御自身が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです」(ロマ九:一五~一六)。主イエスはわたしたちがたとえどのような罪人であっても救うことのできるお方です。主イエスはわたしたち罪人を救うために、天から下って来てくださったからです。

 主イエスは十字架に渡される前夜、弟子たちと食事を共にされました。食事の席で主イエスは立ち上がり上着を脱ぎ、腰に手ぬぐいを取り、桶に水を入れて弟子たちの足を洗い始められました。主イエスの行為は、神はこれほどまでにわたしたちを愛してくださっていることを教えるものです。同時に、このことは神がわたしたちの罪を清めてくださることを教えます。主イエスがわたしたちの足を洗わなければわたしたちと何の関係もなくなってしまいます(ヨハネ一三:八)。ユダは主イエスを銀三〇枚で敵に売り、ペトロも又、裁判の時、わたしはこの人を知らないと言いました。主イエスはこのような弟子たちの足を洗われたのです。
 この神を知ることによってわたしたちは救われます。大切なのは自分ではなく主イエスを見つめることです。そして、全てを捨ててそのお方の懐に飛び込むことです。そうすることによってわたしたちは「神を知る人」となるのです。

2010年5月16日日曜日

ヨハネ一3章11-18節「命を捨ててくださいました」

第121号

わたしたちの救いは神の御手に委ねられています。救われていない人は生まれたままの状態にある人で、聖書では「肉の人」などと言われています(ロマ書七章一四節)。救われた人は主イエスに会って変えられた人で、「新しく創られた者」、「神の子」などと言われています(二コリント五章一七節、ロマ書八章一五節)。両者の違いは、御子から油を注がれたかどうかによるものです(二章二〇節、二七節)。神から聖霊を注がれた人は神から生まれた人となります(二章二九節、三章九節)。
 わたしたちがこの聖霊を受けるのは聖書の知識でも、自分の意志や、良い行いによるものでもありません。それは神からの一方的な恵みとして与えられるのです(ヨハネ一四章、ロマ書九章など参照)。
 自分が信じて救われるのではなく、神が御自身の意志で人を救うのは、納得がいかないという人がいるかもしれません。しかし、人は救われて初めて神がどのようなお方かを知るのです。知らずに信じることはできません。同じことは愛についても言えます。わたしたちの知っている愛は生まれつきのものであって、人類愛、隣人愛、兄弟愛、家族愛、自己愛といったものです。しかし、それは聖書の教える愛とは異なります。わたしたちは主イエスに会って心が変わらない限り神の愛は分かりません。

 ヨハネはわたしたちに「互いに愛し合うこと」を勧め、「カインのようになってはなりません」と言います。カインは弟のアベルを殺しました。それは、主がアベルとその捧げ物に目を留められ、自分とその捧げ物には目を留められなかったからでした。わたしたちは、カインは人を殺したために悪い者となったと考えますが、聖書は、カインは悪い者に属していたので弟を殺したと言います。心の中で兄弟を妬み、憎むなら、もうすでに人を殺しているのです(マタイ五章二一~二六節)。そのような者はすべて死にとどまったままで、永遠の命がとどまっていません(一四節、一五節)。

  旧約聖書には、神はアブラハムと契約を結ばれたことが書かれています。神はアブラハムに誓って、土地、子孫、祝福を与えると約束されました。そして、その契約の「しるし」として割礼が求められました。割礼という「しるし」のない者は神の約束を信じないが故にイスラエルの民から滅ぼされるのです(創世記一七章一一節、一四節)。
 エレミヤ書では時が来れば、この肉の割礼は心の割礼に変わることが預言されています(エレミヤ三一章三一節)。
 エゼキエル書九章には神は偶像を礼拝したイスラエルの民を滅ぼされたことが書かれています。しかし、民の中で偶像礼拝を避け、身を清く保っていた者には「しるし」が与えられ、滅ぼされることのないようにされました。
 神を信じるとは単に主イエスが神であると信じることではありません。もしそれだけのことであるならサタンですら主イエスが神の子であることは知っているのです。主イエスを信じるとは神への罪の悔い改めがなければなりません。それに対して神が赦されるのです。赦された「しるし」として聖霊が与えられるのです。聖霊はわたしたちが滅びから救われ、永遠の命を保証するものです。
 聖霊を受けることによってわたしたちの心は変えられます。それまでは自分が自分の主人でした。しかしそれからは神御自身がわたしたちを支配されるのです。新しく生まれた人は神に属しているがゆえに正しい生活をし、兄弟を愛するようになります。

  主イエスはわたしたちがまだ罪人であったときに、わたしたちのために御自身の「命を捨ててくださいました」。十字架上で「わが神わが神なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないのです」と叫ばれました。このようにして主イエスはわたしたちの罪の身代わりとなられました。それを知ってはじめて神のわたしたちへの愛が分かります。この愛がなければわたしたちは自分の罪のゆえに裁かれ、滅びなければなりませんでした。わたしたち自身が罪赦された者であるなら、もはや人を裁くことも憎むこともできません。
 この世は主イエスを憎み、十字架に付けました。それは救いが人間の意志や行いによるものではなく、主イエスにあるのを認めたくなかったからです。同じようにこの世は、主イエスを信じる者も憎みます。カインはなぜアベルを殺したのでしょうか。それは自分とその捧げ物を退け、弟とその捧げ物を受け入れられたのが神だからでした。神に顧みられたアベルとその捧げ物を憎んだのです。しかし、神はそのカインを救うためにも十字架で御自身の命を捨ててくださったのです。主イエスは御自身を信じるなら、例えその人がどのような者であっても全て救われるのです。

2010年4月18日日曜日

マルコ16章1-8節「驚くことはない」

第120号

〈イースター礼拝〉
 復活は、主イエスが経験された三つの裁きの後に起こった出来事でした。最初の裁きは最高法院で、ユダヤ人指導者たちが主イエスを死刑に決議したことでした。二つ目は、ローマのユダヤ総督ピラトがユダヤ人の求めに応じて主イエスを十字架刑にしたことでした。そして最後は、神が十字架に付けられた主イエスを罪人として裁かれたことでした。そのため、主イエスは、「わが神、わが神、なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたのです。(同、一五章三四節)。しかし、神は十字架で死んだ主イエスを三日目に黄泉から復活させました。
 最初の裁きの時、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げて」行きました(マルコ一四章五〇節)。このことは、主イエスは神の民であるユダヤ人全てに見捨てられたことを意味します。また、第二の裁きではピラトは「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かって」いましたが、ユダヤ人たちを満足させるために十字架につけました(同一五章一五節)。このことは全ての異邦人もまた、主イエスを見捨てたことを意味します。主イエスは罪がないのにも拘らず、神と人から有罪と宣告されました。最初の二つは人の裁き、後のは神の裁きで、いずれも「捨てられる」と言う言葉で括ることができます。神の裁きと復活はわたしたちの預かり知らぬところで起こりましたが、このことを信じるかどうかは、わたしたちに委ねられています。神は十字架の裁きと主イエスの復活を信じる者を救われ、信じない者を裁かれるのです。

 十字架は主イエスにとって大きな苦しみでした。冤罪とは、無実でありながら有罪と裁かれることで、そのため被告人は非常に苦しむことになります。主イエスの場合は、無罪であっただけでなく、自らの意志で人類の全ての罪を負われました。それが天の父の御心だからでした。
 わたしたちの罪とは「光」がこの世に来られたのにそのお方を理解しなかったことです(ヨハネ一章五、一〇~一一節)。弟子たちは主イエスがユダヤ人をローマの頸木から解放し、この地上に神の国をもたらすお方であると信じていました。彼らは主イエスのなされた様々な「しるし」を見ました。それは荒れ狂うガリラヤの海を一言で凪にするという自然を支配する力であり、生まれつき目の見えない人の目を開けるという癒しの力でもありました。彼らは主イエスがその力を用いてエルサレムをローマから解放すると信じていたのです。彼らはその暁には誰が主イエスの右に、そして左に座って権力を行使するかを論じていました(マタイ二〇章二〇~二八節)。しかし、主イエスはゲッセマネで無抵抗のまま捕らえられ、無言で裁きの座に座り、十字架を負って刑場まで歩かれました。頭や顔を棒や平手で叩かれ、顔に唾をかけられて侮辱を受けられました。弟子たちの夢、希望、理想は十字架で砕かれたのです。
 今日でも主イエスを政治的改革者と見做したり、平和や差別、貧困、弱者のために闘う社会改革者、また、わたしたちが生きるに必要な愛の実践者、道徳の教師として見る多くの人がいます。もし、主イエスがそのようなお方であるなら十字架につけられることはなかったでしょう。
 主イエスを知るためには、十字架のところに行かなければなりません。なぜなら、そこにわたしたち人間が誰一人として従うことのできない弱さ、低さ、貧しさがあり、神の御心に従う主イエスの苦難があるからです。そして、そこに主イエスがなされたどの「しるし」にも勝る、神の力が隠されているからです。

 主イエスはかつてサマリアの女に、あなたがた異邦人は「知らないものを礼拝している」と言われ、ユダヤ人には「知っているものを礼拝している」と言われました。それは「救いはユダヤ人から来るから」でした。しかし、ユダヤ人はこのお方をメシアと認めることはできませんでした。ペトロも三度主イエスを否みました。自分が罪人であることも、主イエスが「世の罪を取り除く神の子羊」であることも分かりませんでした(ヨハネ一章二九節)。それは全ての人の目に隠されていたのです。
 復活した主イエスは、弟子たちに四〇日に亘って聖書全体(旧約)が御自身について書かれていることを説明されました(ルカ二四章二七節)。
 主イエスの十字架と復活だけが、わたしたち人間の罪を顕わにします。罪のない人は一人としていません。その罪を主イエスは御自身で担われました。神はその罪人を黄泉から甦らせました。主イエスは今も生きておられ、この二千年前のこの出来事にわたしたちの救いがあるのを教えるのです。罪人であるわたしたちが、この主イエスを信じることにより、復活の希望に預かることができるのです。

2010年3月21日日曜日

マルコ14章53-65節「あなたはメシアなのか」

第119号

  最高法院は大祭司を議長とし、祭司長、長老、律法学者たちから成る七〇名の議員によって構成されていました。ローマの植民地であったユダヤの立法府と裁判所としての機能を持っていましたが、彼らの権威はそれだけでなくエルサレム神殿と律法を擁護していることにありました。
 神殿はユダヤ人の誇りであり、各地に散っている民を一つにするものでした。そこは神が宿る聖なる場所であり、祭儀により民の罪を赦すところでした。律法もまたユダヤ人にとって守らなければならない大切な戒めで、それによって神の国にふさわしい聖なる民とされたのです。その教えは十戒やその細則を守ることだけでなく、汚れたものや罪人に触れてはならないということも含まれていました。特に食事に関する規定は厳しく、食前の手洗いの励行や祭儀的に汚れた動物を口にすることは禁じられていました。彼らの権威は神殿祭儀を執り行い、律法を実際の生活に当てはめて教えることにありました。
 それに対する主イエスの権威は御自身にありました。それは神が人となってこの世に来られたからでした。主イエスがなされた数々の「しるし」はそれを証しするものでした。主イエスは人々の罪を赦され、人々が御自身を礼拝するのを受けられました。また、天から遣わされたことを弟子たちに教え、天からの声もまた「これはわたしの愛する子」とそのことを証しました。

 二つの権威が最高法院で衝突しました。大祭司たちは主イエスを被告人として捕らえたのです。判決は始めから死刑と決められ、そのための証人も集められました。しかし、裁判が始まると証言は食い違いました。偽りには真実を覆い隠す力はなかったのです。遂に、ユダヤの最高権威者である大祭司が立ち上がり自ら尋問を始めました。主イエスは沈黙を守っていましたが、あなたは神の子、メシアなのか、との問いに口を開きました。「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」。それにより主イエスの死刑が決まりました。周りにいた人たちは主イエスに唾をはきかけ、顔を平手で打ちました。
 ユダヤ人指導者にとって、主イエスの権威が神殿、律法の権威にとって代わるのは許せないことでした。その権威は神によるものだったからです。そして、その権威によって、民を支配し、君臨し、人々からの尊敬も受けていました。主イエスの権威を認めることは、これらのもの全てを失うことでした。
 指導者たちだけでなく、民にとってもそれは同じでした。主イエスによって救われるより、神殿と律法によって救われる方がより確かなことだったからです。
 弟子たちは主イエスを見捨てて逃げました。彼らはこの世の権威の前に無力でした。しかし、ペトロだけは遠く離れて主イエスに従いました。自分の身を安全圏に置いていたのです。ところが突然、身に危険が迫った時、この人を知らないと三度も否んでしまいました。

 最高法院で起こったこと、それは弟子たちを含めて、誰一人、主イエスと一緒に十字架への道を歩むことはできなかったということです。神は民に律法を与えられましたが、この律法による救いはわたしたちが正しい判断が出来るということを前提としています。しかし、この自由意思は人間の自我というフィルターを通すがゆえに歪んで、正しく機能しません。そのため、神御自身が人となってこの世に来られても、誰もそのお方を神の子と認めることも、また、その言葉に権威があることも認められませんでした。そこにわたしたちの罪があるのです。そのことがこの裁判の場で公になったのでした。
 わたしたちは生まれたままの状態では主イエスがどのようなお方か知ることはできません。その苦難と十字架の意味を知ることはできないのです。
 このようなわたしたちは、弟子たちと同じようにペンテコステの出来事を経験することによって初めて変えられるのです。わたしたちの内に注がれた聖霊によって、初めて目が開かれ、耳が聞こえるようになるのです。主イエス御自身の義と聖がわたしたちのものとされるのを知るようになるのです。わたしたちは救いの根拠を自分の内に見つけることはできません。律法による良い行いではなく、主イエスの言葉を信じることが唯一の救いとなるからです。
 主イエスはメシアである。救いはそれを信じる全ての人に及びます。主イエスを裁いた大祭司、長老、律法学者たち、そして主イエスに唾を吐いたり、平手で打った者たちにまでもです。しかし、そのためには心からの悔い改めが必要なのは言うまでもありません。
 わたしたちはこのレントの期間、このように全ての人のために苦しまれた主イエスを覚えて過ごしたいと思います。

2010年2月21日日曜日

ペトロ二1章16-21節「預言の言葉」

第118号
 
 ペトロの手紙二の著者は伝統的には主イエスの十二弟子の一人、使徒ペトロと言われています。しかし、書かれている内容はもう少し後の時代のことなので、使徒ペトロを著者とするには無理があるようです。一三〇年から一五〇年頃に書かれたものと思われます。執筆した場所は不明です。教会全体に宛てた公同の書簡で、その背景には、主イエスは何時になったら再臨されるのか、本当に天から降って来られるのか、と疑う人が当時の教会に多くいたからです。復活や昇天と同じく主イエスの再臨は、この世の常識に反しているため、信じるのが難しかったのです。このことは今日の教会においても言えます。この手紙はそれに対して、主イエスの再臨の確かさを証しするものとなっています。

ペトロはそのために、「わたしたちは主イエスの威光を目撃した」と言います。主イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登りました。そこで「主イエスの姿が彼らの目の前で」変わったのです(参照、マタイ一七章)。「顔は太陽のように輝き、服は光のように白く」なりました。そして「モーセとエリヤが現れ、イエスと語り」合いました。その時、「荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。私たちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです」。
 もしこれがペトロだけの経験であれば、人はそれを「巧みな作り話」と退けることもできます。しかし、「わたしたち」とペトロが言っているように証人は複数なのです。
 しかし今やこのような主イエスの証人であった使徒や弟子たちの多くは迫害のため殉教し、残された者たちもまた高齢化していました。ペトロ自身も「自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないのをよく承知して」いたのです。それゆえ、世を去る前に自分たちが語ったことは全て事実であると伝えておかなければなりませんでした。
 ペトロたちはこのように聖なる山で主イエスの神的性質を見ましたが、それによって彼らは主イエスが神であると信じたわけではありません。しかし、十字架と復活、昇天、ペンテコステの出来事、その後の様々な経験を積むことによって少しずつ聖なる山の出来事の意味を知るようになりました。主イエスの変貌の姿は天から降って来られるであろう主イエスの御姿に重なるようになりました。再臨の約束は確かなものとなったのです。

  わたしたちは創造者なる神の存在を信じることができます。そして神は愛の神であって、主イエスがその神の愛の体現者であることも信じることができます。しかし、それにも拘らず本当の意味でわたしたちが神の存在を信じることができるのは、あくまで神との出会いを通してです。それは主イエスの御言葉とそれに伴う御臨在の確かなことによるものです。
 ペトロは聖なる山で神の御臨在に預かりました。その時「ペトロは、どういえばよいのか分からず」、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」と言いました。ペトロはこのような出来事が起こったこの場所を特別な所としたかったのでしょう。この場所で礼拝するなら誰でも神の御臨在に預かれるようになると無意識にでも思ったのかも知れません。しかし、それに対する天からの声は「これはわたしの愛する子、これに聞け」と言うものでした。
 信仰は、あくまで神から人への働き掛けです。わたしたちの方から神に近づくことはできません。わたしたちに出来るのは主イエスの声に聞くと言うことです。マルタとマリアがそのよい例です(ルカ一〇章)。マルタは家に迎え入れた主イエスと弟子たちをもてなすために忙しく、取り乱してしまいました。主イエスのところに行き、足元で話に耳を傾けているマリアに自分の手助けをするように言ってほしいと頼みました。それに対し主イエスは「必要なことはただ一つである」と言われ、「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」と言われました。マリアは語っておられる主イエスの足元に座って、御言葉を聞くことのできるこの機会を逃すことはできなかったのです。
 旧約聖書の「預言の言葉」が主イエスの誕生によって成就したように、時が満ちた時、新約聖書で約束されている主イエスの「預言の言葉」もまた成就するのです。ペトロはわたしたちに「どうかこの『預言の言葉』に留意してください」と言います。それは主イエスの再臨の約束で、世の裁きの時であり、同時に信じる者にとっては救いの時だからです。

2010年1月17日日曜日

ヨハネ3章1-15節「新たに生まれる」

第117号
〈新年礼拝〉
 ニコデモは夜、主イエスのところにやって来てこのように言いました。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています」。ニコデモはファリサイ派に属し、サンヘドリンと呼ばれるユダヤ最高法院の「議員」でした。ファリサイとはヘブル語で「分離」という意味で、その派に属する人たちは聖書を学び、律法に厳格に従って生きることによって自分たちを他の人たちと区別したのです。偉大な使徒パウロもファリサイ派の一員でした。彼は当時の自分を省み「律法の義については非のうちどころのない者でした」と言っています(フィリピ三:四~六)。また、ユダヤ最高法院は七〇名の議員から構成され、大祭司が議長となり、律法学者、長老がその構成員となっていました。ユダヤの民事、刑事、宗教問題を扱うユダヤを統治する団体で、ニコデモはその中でも有力者でした。

ニコデモは夜、暗闇の中から突如として現れて主イエスの前に立ちました。そして「わたしどもは」と言って、国の指導者、支配者を代表して偉大なラビ、すなわち教師である主イエスに挨拶したのです。
 ヨハネの福音書では「夜」、「暗闇」には特別の意味があります。「光は暗闇に輝いている。暗闇は光を理解しなかった」とあるように、それは「この世」であって、「無知」、「罪」の象徴でもあります(ヨハネ一章、参照)。その意味においてニコデモはユダヤ人の指導者、支配者だけでなくユダヤ人全体を代表しているのです。続けてニコデモは主イエスに、「神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことができない」と言いました。
 「しるし」とは奇跡のことです。二章には、「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた」とあります(二章十一節)。主イエスはその他、様々なしるしをなさいました。それは神が人を通して働かれるということで、そのしるしを見てニコデモはあなたの語られる言葉もまた神から出ていることを認めると告白したのです。
 そのニコデモに主イエスはこのように答えられました。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。「新たに」はギリシャ語のアノセンで、「上から」と「再び」の意味があります。夜、主イエスのところにやって来たニコデモはその言葉を当然、人間的な意味にとって「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度(すなわち、「再び」)母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と言いました。それに対し主イエスは、そうではなく「だれでも水と霊によって(新たに)生まれなければ、神の国に入ることはできない」と正されました。
 「霊」とはへブル語でプネウマで、「風」、「霊」、「息」の意味です。創世記の二章七節には「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の『息』を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とあります。エレミヤもまた主の言葉を預言して「わたしはお前たちに新しい心を与えて、お前たちの中に新しい霊を置く」と言いました(三六章二六節)。しかし、聖書をよく知っているはずのニコデモは主イエスの言葉を頑なに否定しました。「どうして、そんなことがありえましょうか」。
 律法学者やファリサイ派の人々の口癖は「わたしたちは知っている」、「あなたがたはこんなことも知らないのか」でした。同じ言葉をニコデモは主イエスから聞かされたのです。「わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない」と。

 主イエスは「わたしたち」と「あなたがた」を明確に区別しています。主イエスは御自身を神の子と信じる者を自分に属するものとして「わたしたち」と呼んでいるのです。それは主イエスが「天から降って来た者」すなわち神御自身であることを信じる者を指しています。
 それに対し、ニコデモは主イエスをあくまで人、つまり旧約聖書の預言者の一人のように見ています。預言者エリヤやエリシャは神から遣わされたことを証しする様々なしるし(奇跡)を行いました。たとえばシリア人の将軍ナアマンの重い皮膚病を癒し、寡婦の独り子を死から蘇らせました。それと同じようにニコデモは神が主イエスを通して働かれていると見たのです。主イエスが神御自身であるとは信じていなかったのです。
 それではわたしたちはどうでしょうか。主イエスをどのようにみるかによって「わたしたち」と呼ばれるのか「あなたがた」呼ばれるのかが決まるのです。「光」、「命」に属しているのか「暗闇」、「滅び」かが分かるのです。