2012年3月18日日曜日

フィリピ書2章25-30節「主に結ばれて」

第143号

 
 東日本大震災から一年が経ちました。その日、東京神学大学の卒業式に参列していましたが、突然の激しい揺れに驚き、天上の梁が落ちてくるのではないかと思いました。一〇日後、アメリカから来日したパートナーズ インターナショナルの、ボッブ・サーベッジ氏と仙台、石巻を訪ねました。彼の所属する組織に多くの寄付金が送られて来たからでした。そこでわたしたちが見たのは海岸から内陸に広がる瓦礫の原でした。
 日本で多くの外国人が動画を作り、インターネットで世界に配信しています。今回の災害でも自らの体験を語り、また義援金を送るように呼びかけています。海外からも様々な人たちが祈りや激励の言葉を送って来ています。そこには規律を守り、助け合っている被災者たちに感動し、学びたいと言う声が沢山ありました。今日、人々は国や人種という枠を超えて強く「結ばれて」いることを実感しました。

 フィリピの集会はパウロが獄にいると聞いてエパフロディトを送りました。その目的は贈り物を届けることとパウロの世話をすることでした。当時の獄の状況は厳しく、食事も質量共に貧弱でした。ただ、今日ほどには外部と隔離されていませんでした。しかし、エパフロディトはパウロの世話をすることができませんでした。重い病気にかかったからです。そのことはフィリピの人たちにも伝わり、彼らはエパフロディトの身を案じました。しかし、せっかく遣わしたのにと遺憾に思う人もいたようです。
 パウロはやっとのことで病気が回復したエパフロディトをフィリピに帰すことにしました。当時の福音宣教者の中には自らの働きの報酬として金銭や奉仕を当然の権利として受ける人たちも多くいたのです。パウロはそのような人たちとは一線を画していました。自分の利益のために福音を述べ伝えていると見做されたくなかったのです。パウロは彼をフィリピに返すのが良いと判断したのです。
 パウロはエパフロディトを「わたしの兄弟、協力者、戦友」と呼んでいます。兄弟とは主イエスを信じる者同士です。協力者はフィリピの人たちのように宣教者を物心ともに支える人たちです。戦友とはキリストから与えられた任務を果たすために死ぬような目に遭った人を指します。わたしたちは出来たら戦友と呼ばれる当事者ではなく、傍観者のままでいたいのではないでしょうか。しかし、傍観者のままでいるならその心はいつか冷たくなり、遂には錆びついて動かなくなります。戦友になることによって初めてパウロの喜びや苦しみのいくらかが共有でき、燃え尽きることができるのです。パウロはフィリピの人たちにエパフロディトのような人を「敬いなさい」と言います。何故なら「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭った」からです。

  日本の古い文化は、命より大切なものがあること、そして人の「和」と「共生」を大切なこととして教えて来ました。例えば武士は自分に誇りを持ち、仕える主人のためには命さえ惜しみませんでした。しかし、このことは戦時中の覇権主義と軍国主義に利用され、天皇のため、お国のために死ぬのが美徳とされ、多くの人の命が奪われました。戦後、民主主義の導入により人の命は何よりも大切なものと考えるようになりました。しかし、この教えもまた近代の競争原理の導入と共に自己中心的な生き方に変質し、社会に大きなひずみが生まれました。
 今回の災害でわたしたちが気がついたことは、自分の命をかけて他の人の命を救った多くの人たちがいたこと、また、人々はこのような試練な中で助けあい、分かちあい、励ましあったことでした。日本の古い文化が今も生きていてそれが社会を支えていることを知らされ、わたしたちの心を打ったのです。それは世界の人々にとっても同じでした。
 新渡戸稲造は著書「武士道」で「私は、封建制と武士道がわからなくては、現代日本の道徳思想は封印された書物と同じだと気づいた」(ちくま新書、一四頁)と記し、日本の古い文化を旧約の律法とし、この上に新約聖書が読まれなければならない、と書いています。わたしたちキリスト者にとっては、自分の命より大切なもの、それが神であり隣人で、それによってわたしたちの和と共生があるのではないでしょうか。
 帰路についたエパフロディトの懐にはパウロからの書簡が託されていました。獄にいたパウロの愛は変わらずにフィリピの人たちに注がれていました。神はエパフロディトを憐れんで下さいました。主イエスは彼に「パウロにしたことはわたしにしたことである」と言われたのではないでしょうか。パウロとエパフロディトとはお互いの命を捧げることによって「主に結ばれて」いたのです。