第155号
東日本大震災から二年が経ちました。当日、東京神学大学の卒業式に出席していましたが、礼拝堂の天井が大きく揺れ、梁が落ちて来るのではないかと思いました。十日後、パートナーズ・インターナショナル米国(NGO)のスタッフ、ボブ・サーベッジ氏と仙台、石巻を訪れました。そこにはニュース等で見た光景が広がっていました。住民は復旧のために立ち上がろうとし、自衛隊や海外からのボランティアなども多くいました。教会もまた地域の人たちに食糧や寝場所を提供する等して貢献していました。人々は長い列を作って順番を待ち、何事にも自分より弱い人たちを優先させ、助け合っていました。このような被災者の様子にサーベッジ氏は心を動かされたようでした。
日本には海外からの留学生や英語教師がいますが、彼らの多くはユーチューブの動画やフェイス・ブック、スカイプ等のネットで自分の安全を家族や知人に知らせると共に、被災地への募金を呼びかけていました。同様に海外からも多くの人が義援金を呼びかけていました。個人や教会から多額の援助金が送られて来たことにパートナーズ・インターナショナル米国は驚いていました。災害援助専門家サーベッジ氏が急遽来日したのはそのためでした。不思議な事に世界には日本に特別な関心を寄せ、このような災害が起こると涙する多くの人がいます。それは以前から日本の自然や歴史に関心を持っていたり、日本に滞在したことがある人々以外にも見られます。彼らの日本人への愛はどこから来ているのでしょうか。
人々は主イエスを十字架に付けましたが、主イエスはその十字架の上で天の父に「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」と言われました(ルカ二三章三四節)。主イエスは全ての人の罪を御自身で負われたのです。そして、神の呪いとなって十字架上で亡くなりました。その独り子を天の父は三日目に復活させられたのです。主イエスの贖いの故に、人は律法に従って義しく生きる必要はなくなりました。主イエスを信じるだけで救われるからです。
弟子たちが主イエスのもたらした福音を心から信じることが出来るようになったのはペンテコステ(聖霊降臨日)で聖霊を受けてからでした(使徒二章参照)。わたしたちの心に聖霊が宿ることによって初めて神の言葉が石の板に代わって心に刻まれるのです。そうして、わたしたちは神を愛し、人を愛するように変えられて行きます。